北海道の思い出 第1話 「小樽に置いてきたもの」 前編

いよいよ新シリーズの開始です。北海道から離れて早3週間です。

イギリスのお話は少しお休みして、「北海道の思い出」について、暫くの間、お付き合い願いたいと思います。

今回のお話は、「小樽に置いてきたもの」です。

それは、私の体の一部です。扁桃腺です。

昨年の秋、11月に市立小樽病院で扁桃腺の除去手術をしました。除去された私の扁桃腺は、今頃、同病院のどこかに瓶詰めになって残っているに違いありません。

小樽観光のお話を期待していた読者の方がおられましたら、申し訳ありません。別の機会にご紹介します。

昨年の丁度今ぐらいでしょうか。耳の痛みがあり、小樽駅前のS耳鼻科を訪問しました。そのS先生、私の扁桃腺を一目みるなり、「ああ、これは取ったほうがいいね。」とおっしゃいました。

実は、その数年前から、私の扁桃腺は異常な状況を呈していました。

1、以前より容易に発熱するようになっていたこと。年に2、3回、39度位です。

2、その場合、従来、効果のあった抗生物質の経口投与が効かず、抗生物質を数日間点滴しないと、熱が引かなくなっていたこと。一回の点滴に30分以上かかります。かなりの負担です。

3、普段も喉がイガラっぽく、常に、水、お茶の類を求めていたこと。

先生に指摘をされ、私の方からも、「実は」ということで、以上のような状態にあることを訴えますと、先生、「ああ、そうでしょ。この扁桃腺はたちわるそうだから。早くとってしまった方がいいよ。」と宣言されました。

その日以来、悩みがはじまりました。不安です。相当痛いそうです。「今さら、50歳にもなるのに、扁桃腺をとらなければならないのか。」私の体、これまで、無傷でした。intact です。骨折はおろか捻挫もしておりません。いわんや、手術をするなんて。

まず、ウエブサイトで色々な情報を集めます。いわゆる医学百科的なものから、除去手術の体験まで、色々な情報がアップされています。それでも不安です。次は、いわゆるセカンドオピニオンです。市内の他のお医者さんにも見てもらいました。それでも、まだまだ不安です。職場の職員の方や、訪問されるお客さん、親しい方、親戚、家族に、「実は、扁桃腺とろうと思っているんですが。」と、話を振って情報を集めます。

結論です。手術を受けることにします。次のように考えて自分を納得させました。

1、リスクの比較。今のままでは、改善の余地はない。この数年の状況から見て、今後ますます悪化するかもしれない。手術をしないで済ますリスクは相当なもの。一方、手術をする場合のリスク、これは、これは2種類、手術自体が失敗するかもしれないというリスクと手術後の経過に関するリスク。これらは色々情報を集めると大したことはなさそう。

2、手術する年齢。もう50歳です。手術をするなら早くした方がいい。

3、余命。曲がりなりにも、50年生きてきました。(昨年の11月50歳の誕生日を迎えました。) 多分、後50年は生きられないでしょう。仮に、手術に失敗しても、これからの時間の方が短い訳だから、扁桃腺を取って自分の人生失敗ということにはならない。成功して発熱が収まったら、これからの時間はボーナスがついた時間と考えられるのではないか。

この3番目の理由。結果的には、これが、一番大きかったかもしれません。これは、色々な人とお話ししながら、まとまってきた考えです。先生の話を聞いた時、こんな考えは直ぐに出てきませんでした。仮に私が、20代、30代だとしたら、もう少し慎重になったかもしれません。もっと、症状がひどくなるまで、決断できなかったかもしれません。

ある意味で、これは驚きでした。自分自身、このように自分の人生に対するかなり醒めた冷徹な見方が出来るなんて。自分の人生の見方に関する革命的変化ともいえます。余命から逆算して、ここまで突き詰めて物事を判断することはそれまでありませんでした。しかし、この考え方に立脚すると、不思議と物事なんとなく、素直に考えられます。また、残りの時間を有意義に過ごそうという気にもなります。
副産物とは言え、私にとって、このような考え方ができるようになったことは、これからの人生にとって、大きな武器を得たような気分となりました。

心は決まりました。業務の都合その他の事情を考えて、市立小樽病院に11月に入院することにします。

S先生に紹介状を書いてもらい、同病院の耳鼻科で、まず、診察を受けます。しかし、この辺から、私にとって想定外のことが起きてきます。

今日は、時間の関係でここまで。後編、手術の模様は来週アップの予定です。申し訳ありません。