北海道の思い出 第3話 「小樽に置いてきたもの」 後編その2

とうとう手術の日がやってきました。

色々心配な事はありますが、もうどうしようもありません。考えても仕方ありません。人事は尽くしたかどうか、自信はありませんが、運を天に任せるしかないのです。

麻酔薬を注射されます。台車のような担架に乗せられ、手術室に運ばれます。手術台の上に乗せられたところまで覚えています。

目が覚めると、元の病室のベッドの上でした。当然のことですが、手術中、何が起きたのか、全く自覚していません。ベッドの横の妻の話では、手術後、1時間位は寝ていたようです。

機械で大きく口を開けられたようですが、歯も痛んでいないようです。しかし、喉は猛烈に痛いです。しゃべることもままなりません。しゃべりたくもありません。その日の食事は、いわゆる流動食です。固形物は一切ありません。それでも、喉を通るときは、痛みがあります。朝晩には、化膿止めの点滴を都合1時間程打つことになります。痛み止めの経口薬も飲みます。

入院に際して、何冊か本を持ち込みましたが、とても読む気がしません。CDプレーヤーで、CDを聞くことが、唯一の楽しみです。こんなこともあろうかと、音楽CDだけは大量にもちこんでいました。昭和47,8年の私が大学に入る前後ぐらいから、昭和の最後ぐらいまでのヒット曲のCDです。昼間も夜中も順番に聞いておりました。30年位前の記憶が蘇ってきます。改めて、随分、長い時間を生きてきたんだなあと、実感します。

2、3日すると、両隣のベッドの患者さんとも、少し話ができるようになります。左隣の方は、耳の下に癌があり、手術ではとれない部位なので、抗がん剤で治療しているとのこと、右隣の方は、先方から、余り話をされないので、こちらも遠慮して、お話をしませんでしたが、なかなかつらそうです。

4日目位から、おかゆも6分ぐらいのものになり、話すことが余り苦になくなります。点滴にくる看護婦さんと、二言三言会話をするようになります。
仕事からも離れ、動こうにも動けず、実質的に外部とも遮断されていて、なにやら、隠遁をしているような気分です。暇で、暇で、退屈になるかと思い、先の話のように、CDを大量に持ち込みましたが、この頃になると余り聞く気にもなりません。ボーっとしている瞬間、瞬間をそれなりに楽しめています。役所に入って働き始めてから、大病にもかかっていません。いわんや入院することなど、初めてです。摩訶不思議な時空間を漂っているような気分です。思わず、今度入院するときはどんなシチュエーションであろうか、などと考えます。自分の過去についても、個々に思い出すというよりも、漠然とその過去の時間の長さに圧倒されています。残念ながら故人となってしまったご厚誼いただいた先輩の方々のことなども、フラッシュのように目の前を過ぎっていきます。

これからもまだまだ自分は生きていくのだなあ、と当たり前のことを、ごくごく自然に受け入れている自分を実感するような瞬間でした。

その後、3日程で、退院でした。退院間際になると、自分の元気さが病錬の中で目立つことが自覚できて、なんとなく居づらい気分となっていました。私のケースは外科手術の術後の入院ですから、時が経つにつれ、確実に経過はよくなります。他のほとんどの患者さんは、私の左隣の方の例のように、時間の経過=回復とは限りません。その逆の場合の方が多いかもしれません。現実に、「大島さんは直ぐにしゃべれるようになって、回復が早いですね。」などと、羨望の言葉を投げかけられました。

そんな心地の悪さを感じはじめた頃に退院したのです。

その後、市立病院には、術後の経過を見ていただくために、一度だけ、耳鼻科外来を訪問しました。その際に、病室にも寄り、同室の方にもご挨拶をしてきました。

さらにそれから、半年以上が過ぎ、小樽を離れる時に、再び、耳鼻科病棟に寄りました。私がいた病室の名札入れには、当時のお二人の患者さんの名前を見つけることができませんでした。消息を聞こうとナースステーションを訪問しましたが、顔見知りの看護婦さんも見当たりませんでしたので、お二人とも無事に退院されていることを切に願いながら、そのまま、失礼して、次の訪問先に向かってしまいました。
今でも、しばしば、その消息が気になることがあります。その時に聞く勇気を持たなかったことに後悔をしつつ、改めて、ご無事を祈っている次第です。