北海道の思い出 第4話 「小樽の人口」その1

もう10月の半ばです。少し、更新をお休みしてしまいました。今回は、小樽の人口の話です。

人口といっても、色々な概念があります。主なものは、定住人口、交流人口という概念でしょう。

定住人口は、住民票登録してあるいわゆる人口と観念していいと思います。小樽では、約14万人です。
読者の方で、経済学の知識がある方は、限界効用逓減の法則とか、限界生産力低減の法則をご存知だと思います。ミクロ経済学という分野の基礎的な知識です。

前者は、与えられる財やサービスから人間が感じる効用(ありがたみ)は、財やサービスの量が増えていけばいくほど、、その増える一単位(限界1単位)当たりから得られる効用は少なくなり、そのうち、財などが増えてもなんら効用を感じない(ありがたみを感じない)状態に近づくということです。

例をあげましょう。お腹がすいた時に最初に食べる一個目のおにぎりのありがたみは、大変大きいものですが、どんどん追加のおにぎりを食べていき、10個目のおにぎりの頃には、もういいやという感じになり、11個目はいらないと感じさせるようになるということです。

後者は、資源(土地等)と生産力にも、、財と効用との関係のごとき、関係があるということです。

小樽に限りませんが、地方の都市に住み、感じることは、人口についても同じようなことが言えるなあということです。人口の限界効用逓減の法則とでも言えましょう。

簡単にいうと、地方中小都市では、一人の人間の存在が地域に与える影響(効用)が、大都会よりずっと大きいということです。例をあげましょう。

コンビ二に買い物にいきます。レジでお金を払います。小樽では、心のこもった「ありがとうございます。」という言葉を何回も聞きました。もう一度、是非来てね、という気持ちが伝わるのです。
東京では、言葉もないこともあります。別にあんたに来てもらわなくても、この場所に店を開いていれば、客はたくさん来るし、困らないんだよ。といわんばかりの対応です。

別の言葉でいえば、小樽では、人間が相対的に大切にされているということです。昔、東京砂漠という言葉、歌の題名だったかもしれませんが、がありました。東京は、一人の人間の存在を本当に小さく感じさせる場所です。大きく感じさせるためには、お金がないとダメな場所です。この辺の話はまた別の機会に譲るとします。

14万人という人口、小樽市には色々な意味で不満なようです。しかし、住んでみると、体感としては、前述のように、大事にされているなあと感じ、心豊かな気持ちになるのも、事実です。

一方で、交流人口。観光入り込み客数と言ってもいいかもしれません。小樽では、約800万人と言われています。

きちんと調査した訳ではないですが、私は、この交流人口と定住人口の比率、小樽では、約57倍ですが、この比率は、日本一ではないかと思います。

この比率がなぜもたらされているかと、やはり、交流人口、即ち、観光入り込み客が多いということにその原因があると思います。なぜ多いのか。小樽自体の魅力もありますが、大きい要因はなんといっても札幌から近いからです。800万人中、道内の方が、8割位の比率だったと思います。札幌圏の人が小樽に来ていることが大きな要因です。さらに、道外の方でも、北海道の首都札幌に着た方が、小樽まで足を伸ばしているというケースが殆どでしょう。

道内で、小樽と同じようなコンセプトで、かつ、小樽よりも観光資源が多い函館の観光入り込み客が500万位であることをみれば、この小樽の「地の利」は明らかでしょう。

小樽の観光の繁栄は、札幌圏から日帰りも可能な圏内というロケーションに恵まれていることが、非常に大きな要因なのです。

もう少し掘り下げていえば、札幌が北海道の首都であることが小樽にとって幸いだったのです。
首都の人口を小樽の観光需要として期待できるのは当然です。
同様に大事なのは、交通網です。いかなる地域でも、その首都を中心に交通網は形成されるからです。空港しかり、鉄道しかり、道路しかり。
千歳空港のエアーネットワークと千歳へのアクセス網がこれほど整備されていなければ、小樽へ道外からくる観光客は、こんなに多くはないはずです。

小樽で2年間過ごしましたが、この57倍のお陰で、あまり、寂れた町に住んでいるという感覚を持たずにすみました。これほど交流人口のない普通の14万人の町に住むともっと寂しい印象をもったに違いありません。

この800万人という数字について、小樽の観光関係者の間では、色々議論があるようでした。
この数字をもっと増やすにはどうしたらいいか。イヤ、日帰り客をターゲットにするのではなく、宿泊客をもっと増やすべきである。等等です。

この辺については、次回、お話することにします。