1、テヘランの経験

もう、30年近く前です。大学時代の最後の年の3月、バイトで貯めたお金でヨーロッパを旅行しました。
いわゆるパックツアーの一種でした。料金が非常に安かったです。
経路はイラン航空で、羽田ー北京ーテヘランで、英国航空に乗り換え、ロンドンといったようなコース、帰りも同様でした。帰りの便、テヘランに到着した時、ひと騒動ありました。

「オーバーブッキングしているので、全員が乗り継ぎ便に乗れません。急いで帰らなくてもいい人がいたら、私と残ってくれませんか。」添乗員が突然言い出すのです。
「何何それ、オーバーブッキングって、予約してたんでしょ。」
「・・・・・よくあるんです。こういうこと、今はテヘランの旧正月ですごく込んでいるようなんです。それで、5人位乗れないんです。大島さんどうですか。」
当時、私と数歳しか違わないであろう若い、初々しい男性添乗員Fさんからこう言われて、
「何時になったら、次の便に乗れるんですか。私、4月1日には、役所に行って働き始めないといけないんですけど。」
確か、3月の25日ぐらいでしたでしょうか。この日は。
「ああ、大丈夫ですよ。場合によれば、今日でも乗れると思うのですが、一応、急いでいる人には進められないので。」
「そうですか。テヘランの街中をみるのも面白そうだし、じゃ残りましょうか。」

空港に到着したのが、夜の7時位でしょうか。しばらくして、添乗員が暗い顔して私たちのところにやってきました。
「今日は無理みたいですが、一応、待機しておいてください。乗れないときはホテルを責任持って探しますから。」
「・・・・・・・わかりました。」
それから、待つこと5時間あまり、結局その日は搭乗便がみつからず、日付が変わるころに、ホテルに入れることになりました。
皆ほっとして、明日どうしようか。とにかく両替でもしようかということになり、お金を換えたのですが、それからがさあ大変。
あの「数字」が、お札、コインに書かれていないのです。いくらのお金だか全くわからないのです。
アラビア語で書かれているんです。あの、どこまでが文字で、どこまでが単語かよくわからないあの言葉で。
考えてみると、テヘランに来ることなど、「想定外」ですから、貨幣単位も知らないし、(「リアル」と言うんですが、その時に初めて知りました。) 挨拶の言葉ひとつ、まったく知りません。旅行する、観光する基礎的知識が全くゼロなんです。
考えてみると、こんなに無謀で、心細いことはありません。

さらに、我々は帰路にありましたので、手持ち現金がほとんど底をついていました。急に、後悔の念が湧き上がってきます。心細くなってきます。でも、
「折角だから、明日はみんなで観光にいきましょう。」と提案すると、
「すみません。これから、毎日、空港で待機していないとだめなんです。空いた便があったら、すぐ乗れるように。」
「・・・・・・・それは、どこにも行けないということですか。」
「いや、便の関係で午前中は大丈夫ですよ。」

翌日、みんなでタクシーに乗り、博物館に行くことになりました。でも、行き先が伝えられない。言えないし、書いて示せない。ホテルのフロントに仲介を頼みました。降りる時、タクシー代がいくらかわからない。相手の言っていることは聞いてもわからないし、書いてもらっても読めません。数字ではないんです。アラビア語です。お金を運転手に見せて、好きなだけとってもらうしかありません。町の中に行ってもすべてアラビア語、何がなんだかまったくわかりません。意味がわからない。発音できない。もの珍しさを通り越して、ものすごい不安が襲ってきました。テヘランのガイドブックは、持っていないし、言葉について勉強しようとしても会話集も何ももっていない。全くのお手上げです。現金、トラベラーズチェックも殆ど残っていない。しかも、何時日本に帰国できるかわからない。これから、あてなく、毎日空港に通わなければいけないのか。どうしよう。これで、4月1日に役所に行けないなんてことになったら・・・・・・

前置きが長くなりました。実はこれからが、本題です。

2、Language barrier

英国で日本への観光誘致の仕事をしていた時、日本への誘客には、3大バリアーがあるといわれていました。
@ランゲージバリアー、日本では英語が通じない
A日本では、生の魚が、必ず食事に出てくるから、食事を楽しめない
B日本は物価が高い

私は、テヘランの経験から、@のランゲージバリアーの本質を日本人はなかなか体感できないのではないかと思うのです。言葉を変えて言うと、英国人が感じているランゲージバリアーと日本人が感じているそれとは、ちょっと違うということです。
単純にいいましょう。英国人が知っているのは、表音文字のアルファべット26文字だけ。それ以外の文字なんて、見たことありません。ヨーロッパ大陸でもアルファベットを使ってます。ロシアやハンガリーあたりになると少し違いますが、そんなに多くの文字を使ってません。一方、日本では、基本的に表意文字の常用漢字1945文字。
英国人は、日本語を見ても、意味がわからいのは勿論、発音ができません。ある漢字を見て、なんと発音していいのか、彼らは全く「ノーアイデイア」でしよう。表音文字じゃないんです、日本語は。書くこともできません。アルファベットしか知らない人に漢字が書けるわけないんです。。漢字の数もべらぼうです。26対1945。これは、ある意味、私のテヘラン状態です。一方の日本人、英語の知識があります。意味がわからなくても、なんとか発音できます。いくら発音が下手な民族だと言われようが、「発音」という行為はできます。アルファベットは書けます。発音だけで通じなくても、辞書引き引き何とか筆談できます。

一般的に、かなり日本語が上手な欧米人でも日本の新聞を読み理解できる人はあまり多くありません。漢字のマスターがむずかしいんです。一方で、かたかな、ひらがなは直ぐ理解できるようになるようです。表音文字だし、50と数が多くないので。

欧米の人の外客誘致を考える時に、これは、忘れてならないポイントです。
発音できない恐怖、筆談できない恐怖、というものを理解してあげないといけません。

日本人が、これを体感できる場所は少ないんです。日本人は漢字が読めます。書けます。中国、台湾、香港で、中国語の発音ができなくても、筆談できます。店の看板見てもなんとなく分かるではないですか。多少の意味のずれがあったとしても。さらに、アルファべットも読めます。書けます。ほとんどの欧米の国は、アルファべット使用言語ですから、英語であれ、フランス語であれ、ポルトガル語であれ、ローマ字読みでもなんでも、なんとか発音できるし、さらに、書くことはできますから、辞書引き引きでもコミュニケーションはなんとかできるのです。多分、アラビア語の中近東とハングルの韓国位でしょう。例外は。ただ、韓国人は漢字が理解できるし、日本語が分かる人が結構います。韓国人にとって、英語より日本語を習う方がやさしいのですから。

地球上の言語の源はアジア大陸の真ん中、チベットのあたりと聞いたことがあります。それが、東に行き亀甲文字から漢字となり、西に行って楔文字からアルファベットになったと何かで読んだことがあります。日本人は奇しくも、その両極端の言語を曲がりなりにも理解しうる世界でも少数派の民族なのです。

このHPの他の場所でも書いていますが、人間自分のことはなかなか客観的に見れないのです。
Language barrier の問題を考えるとき、非漢字語圏の欧米客の誘致に当たる際には、以上のような観点から、日本は非常に特殊な言語環境におかれた国であることを十分認識する必要があると言えます。

3、テヘランのその後

博物館の見学をなんとか無事に終えたその日、なんとなく滅入った気分で、皆空港に向かいます。今日、本当に帰れるのかなあ。どのくらい待つんだろう。もう、観光気分ではありません。便が見つかるのを祈るのみです。
空港に着いてしばらくすると、F添乗員、私達の方に近寄ってきました。
「みんな一緒の便です。席はばらばらだけど、いいですか。いいですよね。」
嬉しそうに聞くじゃありませんか。いいに決まっているじゃないですか。座席の位置なんて。
確保できた便は、当時、隆盛を極めていた米国パンナム航空の世界一周便でした。南回りで確かバンコク経由だったと思います。
その瞬間、テヘランに残留していた皆全員、老若男子でしたが、涙ぐんでお互いに強く握手したこと、30年近くたった今でもはっきり覚えています。「良かったね。」
こういうときの絆は強いものです。その後、10年位、当時の残留メンバーで連絡とりあっていました。そのF添乗員は、今、日本有数の語学学校の幹部になっています。

申し遅れましたが、当時テヘランは「シャー」の統治下で、「シャー」の写真が街中あらゆる所に貼ってありました。そのテヘランが、ホメイニ師によるイスラム革命で、大混乱に陥いるのは、我々の訪れた直ぐ後、1年後です。
その後、テヘランに行く機会はありません。今後も、多分、ないのではないかと思います。今から振り返れば、本当に貴重な経験をしたと思っております。











26文字と1945文字 Language barrier